道具屋という仕事

  • 2017.03.22 Wednesday
  • 14:13

道具屋という仕事にもいろんな分野があります。

本来「道具」というのは茶道具やそれに付随したお道具類を意味するものだと聞きますが、実際に道具屋は、茶道具、日用生活品、大工道具や機械工具、電化製品、楽器、美術品、書画骨董、趣味の蒐集品、衣類や着物、家具、雑貨、自転車、バイク、自動車・・・・などありとあらゆる古物の売り買いをしています。

実際、道具市場(業者市場)では、上に羅列した様々なお品が日々無差別に競りに賭けられます。

私自身も旧家の片付け仕事で引き揚げた道具類は、明らかにゴミだと思うものや、売買するに適さない品以外、ありとあらゆる物を道具市場へ搬入し、オークションにかけてもらっています。

逆に、お客さんから注文の入っている品とか、自分の店に並べたい品などを、市場のオークションで声を出して競り落とすのも仕事です。

最近、何を見ても心がときめかない。何もほしい物がない。

安いからと言って中途半端な物はほしくないし、逆にいくらほしい物でも、希望価格を越えてしまったらほしくない。

そして「ほしい」と、少しでも心ときめいた物は、あっという間に自分が買える価格をはるかに超えてオークションが終わるのが常だ。

結局、「ほしい」と思うものは、みな同じということか。

 

私は、従業員を雇うこともせず、店舗、倉庫、事務所なども賃貸ではなく自宅を使っています。

車ごと入れる広い倉庫がほしいとよく思いますが、広ければ広いで、絶対にそのキャパは3日で一杯になるに違いありません。

体育館のような倉庫があったとしても、一週間もすればそこは一杯になるのが目に見えています。

 

倉庫や店舗に賃貸料が生じたらその分、それ以上に稼がないとやって行けないのは当然ですし、忙しくなると人を雇う必要も生じるでしょう。人を雇えば自分の取分はゼロであっても人件費を削ることはできません。

大きな商いをするのか、自分ひとりで小ぢんまりと商いをするのか、その選択を見誤るとそれは取り返しのつかない大誤算になってしまいます。

 

私が使っている倉庫はとにかく狭いです。だから倉庫以上の在庫を多く持つことは物理的にできません。だから自然と買い控えもしますし、日ごろから倉庫の片付けばかりしていますし、要らないと思った物は潔く処分していても、それでも常に倉庫は目いっぱいの状態です。倉庫の出入り口の前に物を積み出したらそれは最悪の状態と言えます。倉庫の中に入れなくなるからです。

現在、7部屋ある倉庫のうち、唯一なんとか中で仕事ができる倉庫の画像です。とは言っても、もう限界ですけど。

 

昨日、ウェブ店舗を休業しました。とてもじゃないけど販売まで手が回らない状態になっているからです。

しばらく休業は続くと思います。

 

引き取り品の整理・・・

  • 2016.12.01 Thursday
  • 07:03

今日からいよいよ12月です。

9月末から、立て続けに7件、遺品整理、解体前家屋の片付け、不用品の引き取り、収集品の買取などの依頼があり、昨日で急ぎの仕事がなんとか一段落。

あと2軒のお宅は「急ぎませんから空いている時にゆっくりやって下さい」という依頼主様の言葉に甘え、現在進行形です。

 

私共、廃棄物処理業ではなく古物商として片付け仕事をしていますので、あくまでも「古物の買い取り」が基本業務です。

そのついでにリサイクル可能な物(古紙、古着、金属類など)の無料引取にも対応しています。

そして、いかなる場合にも一般廃棄物、産業廃棄物の有料回収はお断りしています。

平たく言えば、「私共で処分できない廃棄物はお引き取り致しません」ということです。

そして、その限りにおいては、人件費、ガソリン代、高速代など経費の請求も一切していません。

まあ例外として冷蔵庫やブラウン管テレビなどについて、「リサイクル料金を払うので処分してもらえませんか?」と、依頼があった場合は、リサイクル料金と往復のガソリン代を受け取って、リサイクル料金の領収書をお渡しして決済するということも時々ありましたが、普通はお断りしています。

 

買い取れる品が少ない場合、手伝いの人件費、片付けの時給、トラックの燃料代などを計算すると、買い取りどころか無料引取でも採算が採れないような、ボランティアのような現場も正直あります。

現場を見てみないと、そして片付けに取り掛かってみないとわからない、言ってみれば賭けのようなもの。

依頼主様から『家屋解体までの数日間でできる範囲で荷物を減らして下さい。』という依頼を受け、鍵を預かる場合もあれば、数カ月鍵を預かったままのお宅もあれば、依頼主様がずっと横についておられて、『これは良い物でしょ?』とか『これ幾らで買ってもらえますか?』などというふうに尋ねられながら片付け仕事をする場合も。

本当にケースバイケースです。

現実的な話、余程の骨董品や美術品や貴金属などは例外として、ほとんどの品は中古品として流通するわけですから、買った時にどれだけ高かった品でもその値段で買い取れる品は滅多にありません。

 

例えば、着物であれば、買った時には50万円だった着物でも100円、200円でしか買い取れないものがほとんどですし、シミや汚れが少しでもあればリサイクル資源として無料回収しかできないのが現実です。

今、高く買える着物は、質が良くて色柄が良くてサイズが大きくて未着用に近い状態の着物、あるいは明治大正から昭和初期頃の縮緬(ちりめん)で色柄の美しいアンティーク着物、または、藍(あい)木綿の絣(かすり)と藍染木綿の型染布団側ぐらい。

今は大島紬だから、銘仙だからと言って高額買取ができるとは限りません。

本当に滅多に良い物に出会う機会はないものです。

 

「とにかく忙しいです」と人に話すと「儲かってよろしいね」って決まって言われるのですが、

毎日毎日、忙しいばかりであまり儲からないというのが現実です。

 

そして今、時遊館の倉庫、ガレージ、玄関、展示室など、あらゆる空間に未分別の状態の品が積みあがってゴミ屋敷状態になっています。

早く分別整理をしないと前へ進めません。

明日も朝から片付け仕事をがんばらなくては・・・

 

 

JUGEMテーマ:日常

毎日とにかく暑い・・・忙しい・・・

  • 2016.07.20 Wednesday
  • 07:02

JUGEMテーマ:日常

 

平日、土日、祝日、というメリハリが全くない生活だなあ・・・と思うことがよくある。

テレビで日曜の夕方、笑点やサザエさんが始まると憂うつな気持ちになった頃が少し懐かしい。

今日は7月20日、小中学生や高校生は、そろそろ一学期が終わり夏季休業か・・・

とにかく毎日暑い。

梅雨も明け、いよいよ夏本番ですね。

気がつけばすでに一年も半分以上が過ぎ、あと少しでもう8月。

「忙しい」という単語とは少し違うような気がする。

「慌ただしい」というのか「カレンダーに追い立てられてる」というのか、何と表現すべきなのかよくわからない地に足がつかない日々。

イメージとして言えば、例えば、大店の店主が決まった時間に店頭に打ち水をし、決まった時間に店を開け得意客を静かに待つ風景とは程遠く、また、職人が時を忘れて工房に籠って創作活動に明け暮れる風景とも程遠く、とにかく曜日、日時で埋まった予定に追いまくられてその日その日の段取りを考えながら走り回っているという感じです。

ちょっとゆっくりすれば?とも思うのですけど、尻が軽くて風船のように飛んで行ってしまう性分。

まあ、予定が詰まって忙しい忙しいと言っている間が華かも知れませんね。

そんなメリハリのない忙しい毎日に埋もれて、ブログ更新も一カ月半以上滞っている。

何故?

話題がない。

いろんな品を買ったり売ったり引き取ったり処分したり、・・・・日々、多くの品々を積んだり下したりして動かしているのですが、わざわざブログに書くような話題にもならない?というのか、なんか感動のない日々を過ごしているというのが実感です。

 

時遊館の外壁と屋根の塗装リフォームは6月初旬に完了したのですが、塗装の際に外回りに積み上げていた火鉢や大きな陶磁器など緊急避難していた物がやっと片付いたという感じです。

また、日々倉庫の中の整理も・・・。

ただ、整理してもしてもあっという間に堆く段ボール箱が積み上がり、また足の踏み場もない状態に。

毎週、毎月それの繰り返しです。

おそらくもっと広い倉庫があったとしても、同じ事だと思います。

何もない空間で瞑想に耽り、静かに時を過ごしたいと思うのは夢の夢か・・・

鉄道模型のレイアウトルームに籠って時を忘れてジオラマの風景づくりに専念したいと願うのは夢の夢か・・・

 

近頃、夢を見ることさえもない。

今年の桜は少し悲しげ?

  • 2015.04.04 Saturday
  • 20:06
桜の花が悲しく見えるという経験は初めてのような気がします。
もちろん、わずか一週間ほどで散ってしまう桜の花に哀しさや儚さを感じるのは毎年のこと。
そして、この桜の季節が一年で一番気の重い季節だったのは、かつての職業病のようなもの・・・・。
でも、咲き誇っている桜を見て悲しいと感じるのは本当に初めてのことだと思います。
何か、美しく咲き揃う堤防の桜を見ても立ち止まって花を愛でようという気持ちにもあまりなれない。
教え子であり、親友でもあった鉄友(鉄道友達)を亡くした悲しみからまだ立ち直ることができずにいます。
いつまでもこんなことではいけませんね。

気を取り直して、久々の仕事帰りに、毎年撮影している宇治田原町役場近辺の堤防の桜並木と、和束町西願寺の枝垂桜を撮影してみましたが、まだ、桜の美しさが心の中まで浸透してこないというのが実感です。






宇治田原町役場付近の堤防の桜並木





和束町湯船の西願寺の枝垂桜

今日は、軽トラに満載の荷物を積んだり降ろしたり、200?ほどの道のりを行ったり来たりの一日でした。

明日から天気はまた下り坂です。
宇治田原の桜はそろそろ散り始めるのでしょうか?西願寺の枝垂桜はあと少し耐えそう、そして宇治田原町奥山田天神社の桜は、今日やっと咲き始めたところなので雨に耐えて来週ぐらいまでは大丈夫そうです。
明日はまた引き取り仕事で朝から出かけます。
土日だけジジババ保育園定休日です。


家屋解体前の片付け

  • 2014.04.15 Tuesday
  • 22:02


3月中頃から4月にかけて、家屋解体前の整理、片づけ、不要品回収の仕事が次々に入り、毎日、結構忙しく走り回っています。
解体前の片付けと言っても、物件によって事情は様々です。

1人暮らしのお年寄りと、ご家族が同居するために実家を新築するにあたっての解体、
1人暮らしのお年寄りが他界され、遺産相続による不動産売買に関連した解体、
先代が他界された後、長年放置されていた物件を売却するにあたっての解体、
実家の土地にマンション建設をするためそれ伴う実家の解体、
ほか、これまで種々様々な事情による家屋解体前の整理、片づけ、不要品の回収をご縁がありお手伝いさせて頂いています。

一昨日、ある解体前の物件について作業が完了し、今日からまた別の物件に入らせてもらっています。

私の実家(両親健在)についても共通することなのですが、大正後半から昭和一桁生まれの方は、とにかく物を捨てない。
それでいて余程の数寄者や大金持ちでない限り、もったいない精神が潜在意識にあるため、お宝というような高価な物は滅多に所有しておられない。

戦時中、戦後の動乱期を生き抜き、もったいない精神を強く持ち、その後高度経済成長期が始まった頃から、しだいに物が溢れ、そこそこ生活は豊かになり、そして老いと共に体力、気力も減衰し、「片づける」「物を整理する」という気力すら失せ、家の中は、至る所、ゴミとも生活必需品とも区別ができない様々な物が散乱し、足の踏み場もないような状態になっている家屋が少なくない。
いわゆるダイニング、キッチン、台所という場所が、最も手の付けようのない空間になりがちなようです。買いだめした賞味期限の切れた食料品が堆く積み上げられていたり、油や醤油などの瓶が所狭しと床に林立していたり・・・・

これまで依頼を受けた物件のほとんどが、そのような状態だと言える。恥ずかしながら、私の実家もまさにそのような状態。
何とかしたいと思うも、母に『片づけようか?』と問うと『死ぬまではこのままにしておいて』『死んでからは好きなように片づけてくれたらいいから』と返って来る。

さて、それぞれの物件は家屋解体の予定日が決まっているため、それまでに日程調整をしながら、できる範囲での片付けとなります。
3日、4日、5日と通い続けてる間に、だんだん床が見えてくる。だんだん物が減ってくる。だんだん先が見えてくる。それが嬉しいと感じる。

1か月以上通い続けた江戸時代から続く旧家などは、片づけ最後の日、玄関を出る時、自分のふるさとの実家にお別れするような、何とも言えない切ない気持ちになったものです。

ただ、私は、『無料回収ができるものを引き上げる』と『買い取りができる古物は現金買取する』という条件でのお手伝いですので、リサイクル料金が必要な家電(冷蔵庫など)や、廃棄処分が有料となる、ふとんや現代家具などや、生ゴミ、など引き取れない条件の物も色々あるため、それを施主様にご理解頂いた上での作業ということになります。

骨董品や珍しい品が残っているのは、3代以上続く旧家(本家)ぐらいでしょうか。滅多に驚くような物に出会うことはありません。

<画像はイメージです。>










美しい桜並木を眺めながら

  • 2014.04.08 Tuesday
  • 22:02
今日は、大阪を出発して、信楽を経由し、滋賀県内の業者市場へ出向きました。
大量の骨董品、道具類、リサイクル品、など、種々様々な物が搬入され、朝から夕方まで競り市が開催されます。

時々、お客さんと市場の話題になり『業者市場って安く買えるんでしょ?』という質問を受けることがあります。
なかなかそうは行かないのが難しいところです。

だいたい、古物業者の誰かが欲しい物や狙っている物は、絶対にライバルがいるのです。
たとえ発句が1000円だったとしても、あっという間に2000円、3000円、4000円・・・・と客席から声が出て、声が止まったところで落札となりますが、下手をすれば、落札金額が想定している売り値を超えてしまうということも珍しくありません。

逆に、市場に出品する立場の場合は、高く売れる方が有難いわけですから、熱く競りになると、ドキドキします。
市場での売り値が、店売り値より高くなることもよくあることです。

途中、京都府宇治田原町の河原の桜があまりにも美しかったので、車を停めて撮影しました。
河原の桜並木は、堤防の川側の枝を切られていないので、自由奔放に枝を伸ばし、そこに満開の花が溢れ、本当に美しいです。



親の家を片づける

  • 2013.09.05 Thursday
  • 09:02
『親の家を片づける』
―ある日突然、膨大な老親の荷物や家の整理と処分が、あなたの身に降りかかってきたら、どうしますか? (ゆうゆう特別編集) 主婦の友社 単行本(ソフトカバー) ¥ 1,365

昨日、書店でふと目にしたこの本に、目が釘付けになり、ついつい立ち読みしてしまいました。

古物の買い取りの仕事をしていると、『親の家を片づける』依頼がよく入ります。これまでに依頼を受けた仕事の大半は、遺品整理と、実家の片づけの依頼でした。
引っ越しに伴う不要品整理の依頼以外、ほとんどが親の家を片づける依頼と言っても過言ではありません。
私は、『買い取れる物は適正価格で買います。家電や金属スクラップなど無料引き取りできる物はすべて無料で引き取ります。有料のゴミ処分はしていません』というスタンスで依頼をお受けしています。
もちろん、有料でもいいから全部カラッポにしてほしい、という強く希望される場合は、つながりのある不要品回収業者に依頼することになります。

田舎の旧家2軒まるごと整理を依頼され、家内と二人で1か月以上毎日通ったこともあります。
他にも、いろんなケースがありましたが、共通していることは、今、70代から80代ぐらいの年齢のご夫婦が2人で、または1人で過ごしてこられた家の多くは、物が捨てられずに明らかにゴミや不用品だと分かるものでも未整理の状態で積もって行く、物が溢れて窒息しそうな状態になっていると言っても過言ではありません。
(若い頃から無駄な物を買わず、必要な物以外全部惜しまず処分するという生活をしてこられた方は別ですが、そんな方は滅多におられません。)

大正から昭和初期、物のない貧しい時代に生まれた上に青春時代に第二次世界大戦が勃発し、どん底生活を体験され、そして働き盛りの年齢に高度経済成長が始まり、これまで欲しい物が買えず、何でも「もったいない」と慈しみ物を大切に使ってきた世代の方々に、何でも買える贅沢な時代がやってきた。
家も建て替え、これまで大切に使っていた大正から昭和初期の家財はすべて処分し、新しい家財道具を揃え、便利な家電を次々に揃え、どんどん物を増やしてきた大量消費時代の先駆け世代です。

ところが、今、その世代の方々が70代、80代、90代とだんだん年をとり、家の整理や片付けをする気力も体力もなくなり、昔買った物のほとんどは不要品となっているにもかかわらず、何十年も埃をかぶり、その上に日用生活品が堆く堆積して行く。
広い家なのに日々の生活に使う場所は、台所と寝室と風呂とトイレだけ。
他の部屋は、次々に物置部屋になって行く。
挙句の果ては、片付けたいと頭の片隅で思ってはみたものの、どこから、何から手を付けて良いかも解らない状態になってしまう。

今、私の両親は88歳です。
そして両親が暮らしている家は、まさに上に書いた状態そのものです。
「片づけようか?」と言っても、「そんなに困ってないからそのままにしといて」と返ってきます。
母は、昔几帳面で潔癖で、少し埃がついているだけでも嫌がった人でした。物の置き方ひとつにもこだわりがあって、ちょっと歪んでいるだけでも嫌だという人でした。
ところが、いつからか片付けられない症候群になってしまったようで、必要な物と不要な物が混在した状態で家中に溢れています。それでも片づけるどころか、通信販売や生協のカタログで欲しいと思ったらすぐに注文してしまって、さらに物が増えている状態。

何か片付ける時も、一つ一つ確認しながら処分しないと、あとから、あれがない、これがないとパニックになり、処分したゴミを全部実家まで持ち帰り、家探ししたこともありました。

2人が元気な間は、自分たちのペースで生活したいという気持ちが強く、同居は絶対にしたくないという感じなので、そのままそっとしておくしかないと諦めているのですが、実は、心配で仕方がないというところなのです。

こう書いている私自身も、依頼を受けた片づけばかりしていて、自分の私物の整理と不要品の処分が到って苦手なほうですので、気をつけないと、10年後、20年後、ゴミ屋敷の住人になっている可能性大です。特に、売り物と私物の境界線がほとんどない仕事をしていますから、元気なうちに必要最低限の物だけ残して、すっきりとした風通しの良い生活ができるよう頑張らないといけません。

余談ですが、もし、私のブログをお読みの方で、遺品整理や実家の片づけなどでお困りの方がおられましたら、いつでも、何でもご相談下さい。
メールにてご連絡下されば、丁寧に対応させて頂きます。
また、近県(滋賀、大阪、京都、奈良、和歌山、三重)でしたら、片づけの依頼もお受けいたしますので、お気軽にご相談下さい。
【メールアドレス】 
sigarakiziyuukan@yahoo.co.jp

ホーロー看板 昔話 5話/琺瑯看板会社の宣伝広告

  • 2013.08.06 Tuesday
  • 15:57
滋賀県内の古い薬屋さんの蔵から出た、薬のパンフレットや参考資料などが貼りつけられている特大スクラップブックを数か月前に入手しました。
製薬メーカーのパンフレットや薬の外箱や紙袋や雑誌広告の切り抜きやポスターなどが昭和8年からストックされています。
一枚一枚の資料について説明や年代メモがないので、昭和8年から昭和?年までかがわからないのが残念です。

その中に、ホーロー看板会社の宣伝広告がストックされていたので、非常に興味深く見ています。
最初のほうのページなのでおそらく昭和8年の広告だと思われます。

大阪天王寺区にあった東洋ホーロー工作所で製造されていたホーロー看板の見本カタログと受注方法などが広告されています。
昭和8年当時製造されていたホーロー看板の時代考証に非常に役立つ資料ではないでしょうか。












カタログには戦前右書きの『東京行』サボ見本や、駅の看板見本があるように、琺瑯工場では、国鉄や郵便局や電話局など官公庁の看板の受注もあり、列車の行先板(サボ)や、駅名看板なども製造していました。
当時のもっと詳しい鉄道関係の看板の製造リストなどが写真などで残っていたら夢のようなんですけどね。

当時、全国のあちらこちらに琺瑯工場がありました。
ですから、同じデザインで発注した琺瑯看板でも、メーカー(琺瑯会社)によってわずかに仕様が違ったり、色合いが違ったり、鉄の厚みが違ったり、角の処理が違ったり、ということがあったわけです。

現在でも国内で琺瑯看板が製造できる会社がわずかに残っていると聞きますが、昭和50年代後半、ほとんどの琺瑯メーカーは廃業したようです。
もともと琺瑯会社には小さな町工場が多く、職人の技に頼っていた部分が多いのと、環境問題で工場の存続が厳しくなったと聞いています。
あと、商品のリニューアルサイクルが早くなり、30年も50年も耐用年数のある琺瑯看板を受注する必要がなくなったというのも、琺瑯看板が過去の物となった大きな理由のひとつだと思われます。

仁丹 第二工場跡を訪ねてきました

  • 2013.07.23 Tuesday
  • 13:41

昔、和束川沿いに仁丹の京都加茂工場(仁丹第二工場)があったと、昨日息子から聞き、今日は、仕事の途中にその場所を訪ねてみました。
いつも通っている道の見慣れた風景の中に、かつて仁丹の工場があったというのは、本当に驚きでした。
大正時代から操業していた工場で、終戦後、戦災に遭わなかったこの工場から操業が再開したそうです。

現在、木津川市にある京都府立山城郷土資料館で、「南山城の災害史」という企画展を開催中でしたので、そちらにも行って、昭和28年の大水害について色々調べてきました。



館内展示資料は撮影禁止ということでしたので、この画像はパンフレットからのコピーです。
昭和28年8月15日の集中豪雨によって和束川が大反乱し、川沿いにあった仁丹第二工場が崩落している衝撃画像です。
山城、甲賀、伊賀地域の山間部では一晩で400mm以上の集中豪雨が広域にわたって降り、木津川沿い、和束川沿い、信楽に至るまで、昭和28年の大水害の被害は想像を絶するものがあったようです。
仕事で、京都南山城地域のお年寄りと話をしていると、お年寄りたちはこの水害の事を、28(ニッパチ)と呼び、必ずと言ってよいほどこの水害の話題が出てきます。
8月15日に寒冷前線の通過に伴う豪雨で甚大な被害となり、その復旧工事もまだ終わらぬ9月25日、今度は台風13号に伴う豪雨被害が同地方を襲い、歴史的な災害被害になったのです。

ご近所の方を訪ね、工場跡の場所をお伺いして、徒歩で仁丹工場跡を訪ねましたが、その場所はすぐに判りました。
京都府木津川市加茂町井平尾の国道163号線から府道加茂信楽線を信楽方面へ和束川沿いに300mぐらい?入ったところでした。
そこは、その後、仁丹広場として、地域老人会のゲートボール場にも使われていたそうです。


府道から仁丹広場に架かる橋


「仁丹発祥の地」という看板が立っていました


ゲートボール広場に使われていた頃の名残


岩肌を流れる和束川の荒々しい清流(橋の中央から上流側を撮影)


仁丹広場から少し下流に転がっているこの石造物は。おそらくかつての仁丹橋の橋脚かと想像しています

府道から仁丹広場へは、古い橋を渡って和束川を越えますが、
この橋は、28水害の後に架けられたそうで、かつての「仁丹橋」は水害で流されてしまったそうです。

先日、仁丹の看板や広告について書きましたが、時遊館からこんな近い場所に仁丹の工場があったとは、本当に驚きでした。
看板に見る森下仁丹の広告史→ http://blog.ziyuukan.com/?eid=266867


古いお菓子の缶

  • 2013.07.18 Thursday
  • 21:53
業者市場では、骨董品、武具甲冑、古民具、古陶磁、家具、生活雑貨、日用品、贈答品、廃業した商店の備品、倒産品、不良在庫商品、古本古書古文書、着物や和装品、電化製品、カメラや機械製品、工具、自転車、バイク、発動機、農機具、・・・・など、言ってみれば一軒の家まるごと、ありとあらゆるものが出品されると言っても大げさではありません。
もちろん、出品する人も競りに参加している人も、古物取引許可を持っているプロしか市場には入れませんから、出品者も最初から売れそうもないような物は市場には持ってきません。その見極めがなかなか難しいと言えます。

会主の発句で誰も手が挙がらず、値下げしても手が挙がらず、挙句の果てには「タダでもいらん」みたいなシラケた雰囲気になることも少なくありません。
そんな場合は、『買い引き』と言って、最低価格で出品者が買い取ることになります。
逆に、人気のある品は、発句金額の10倍、20倍まで競り上がる商品もあります。











市場で、古いお菓子の缶の山を買いました。
もちろん、こんなガラクタのような品でも、あっさり買えたわけではありません。
随分競り上がって高くなりましたが、やっと買えた品です。
どこの市場でもこういう品は一品ではなく山(一括)で競りになることが多く、『全部で幾らまで?』という、最高入札価格の心積もりをしておかないと、ほんの5秒ほどで10000円・・・15000円と天井知らずに競り上がってしまうので、競りは怖いですよ。

私は、この手の品が大好きですが、好きなのは私だけではないようで、こういう品は、絶対に高くなります。高くなるのは解かっていてもみんな欲しいのですよ。困ったものです。
『負けるが勝ち』と諦めがつく品か、どうしても欲しいと思う品かを考えるのも一瞬のことです。

お菓子の缶っていうのは、なかなかデザインも可愛く、彩りもお洒落で、これだけ色とりどりのブリキ缶が山になると圧巻ですよね。

普通は捨てられてしまうものですが、写真やお金やボタンなどを保管するのに便利なのでたまたまタンスに残っていたりします。また、色合いやデザインが可愛いので旧家のお婆ちゃんが若いころ集めていたものが残っていたりもします。

普通は捨てられてしまうものだからこそ、30年〜100年の時をへて残っていることが貴重なのです。
せっかく残っていた可愛いお菓子や食料品の缶たちを、しばらく時遊館で大切に保管し、展示しようと思っています。

この缶たちは、捨てられない限り間違いなく私より長生きします。

ゴミのような物に高いお金を出す変な人が集まる場所が、道具市場という所なのかもわかりませんね。

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