2年ぶりに郡山遊郭跡を歩く

  • 2016.12.22 Thursday
  • 15:18

JUGEMテーマ:国内小旅行

 

先日、仕事で大和郡山に立ち寄ったついでに少し時間に余裕があったので郡山遊郭界隈を歩いてみた。

2年前(2014年)9月30日、3年前(2013年)5月22日、26日に大和郡山遊郭跡を歩いた雑感等をブログにアップしているのですが、久々に近鉄郡山駅に近い東岡遊郭跡を歩いてみて、「この風景が残っているのも、いよいよ時間の問題だな」と実感した。

昔、この狭い路地の両側に三層楼の楼閣がそそり立っていたのですが、今ではすっかり景色が変わってしまった

左側にはいつの間にか真新しいマンションが建ち、右側には現在進行形で新築マンションの建築工事が進められています

この路地が、まだ昔の面影を感じられる風景ですが、路地右側はすでに歯抜けになってしまっています

前の画像の路地を少し進んで、すでに空き家になっている妓楼の内部を格子戸から撮影してみました

縦横一間(180センチ)のガラス障子から中庭が見渡せる。内部の建具も贅を尽くした粋な造りです。

隣の路地を歩いてみると、ここでもまた別の新築住宅の建築工事が進んでいるところでした。

角地に建つ妓楼は、以前から内部は崩落し、とても危険な状態なのですが、今も変わりなく残っていました。

この画像の右側に見える新興住宅街も、3年前までは妓楼が立ち並んでいました

 

8年前には威圧感のある三層楼が狭い路地の両側に立ち並び、異様なまでのおどろおどろしい景色があったのですが、格子戸に覆われた木造3階建の三層楼は姿を消し、そこには真新しい白壁のお洒落な新興住宅が『私、昔のことは何も知らないのよ』と言わんばかりに建ち並んでいる。

宅地開発は2年前歩いた時よりさらに加速し、風景の変貌が大きい。もう残っている歴史的な建造物は数えるほどになっていると感じました。時の流れだと言ってしまえばそれまでですが、歴史を物語る生き証人のような建造物が音を立てて消え去って行く現状が悲しくなり、とても複雑な心境でした。

 

さて、東岡からJR郡山駅側に5分ほど歩いた所にある洞泉寺遊郭跡は、この8年間、それほど大きな変化はないように感じます。

浄慶寺と大信寺の間に位置する旧川本家住宅(大正時代に建造された旧妓楼)は、数年前、解体される予定だった処、保存運動が起き、有形登録文化財建造物に指定され、大々的な修復工事を経て現在に至っていますが、今回立ち寄ってみると、ちょうど耐震工事の真っ只中で、足場と保護シートに覆われ、建物内外の壁の要所要所が切り取られ、そこに耐震補強金具が設置されているところでした。耐震工事はあとしばらく続く予定だそうです。

 

 

 

 

有形登録文化財に指定されると、経年劣化部分の修復や耐震補強など、現在の安全基準を満たすために多くの予算を投じる必要が生じるということなのでしょうね。

耐震工事が終了した後に、またゆっくりと内部を見学できる機会があればいいなと思います。

 

 

 

 

 

応接間のある戦前の建売住宅

  • 2016.12.07 Wednesday
  • 20:58

JUGEMテーマ:日常

先日、依頼人様のお宅を訪ねて滋賀県内の旧家にお邪魔しました。

昭和初期頃の建売住宅の内部を見せて頂くことができました。

純和風の粋な造りの小ぢんまりとした2階建て住居。

大きな床の間と風流な縁側があって、玄関の横には四畳半の洋館風の応接間が張り出している、典型的な当時の中産階級向けの建売住宅です。

残されていた僅かな家財道具を預からせて頂いたついでに、各部屋を写真撮影させて頂きました。

子供の頃から私の憧れだった、洋館の応接間がある住宅。

シャッターを切るたびに「こんな家に住んでみたいなあ・・・」と思ってしまいました。

最近まで賃貸していたそうですが、今は空き家。

昔は、著名な政治家が住んでいたこともある家だそうです。

四畳半の洋風応接間が玄関横に張り出しているのは当時の中産階級のステイタスだったみたいです

 

応接間内部

応接間の天井

2階廊下の照明もいい感じ・・・でも残念ながらガラスセードではなくプラでした

2階の廊下の建具にはあちらこちらに粋な細工が・・・

床の間と飾り棚。このスペースだけで2畳も取られている贅沢な造りです

12月に入り寒くなってきましたが、穏やかな小春日和。縁側にはポカポカと柔らかい日差しが差し込んでしばし夢見心地。

なぜか不思議なほど忙しくスケジュールが詰まってしまう。

メモ帳のカレンダーはどんどん埋まってしまって、12月中旬まで休みなしです。

お世話になっている方へのお歳暮とか年賀状とか・・・・なかなか段取りをする暇がない今日この頃です。

 

 

2年ぶりに訪ねた旧橋本遊郭

  • 2016.08.23 Tuesday
  • 15:34

JUGEMテーマ:国内小旅行

 

午後から日程が空いたので、ふと思い立って、うだるような暑さの中、橋本遊郭を訪ねてみた。

時々、無性に昭和の風景に出会いたくなる時がある。

前回橋本を訪ねたブログを見ると2年前の9月だった。

前回も、偶然、旧遊郭が解体されている現場に遭遇したのだが、

今回、またまた大きな旧遊郭が2軒まとめて解体されている最中で、大きな更地ができているところだった。

 

京阪橋本駅前の旧東海道沿いの街道が橋本遊郭だ。

郭内を隈なく歩いてみたが、空き地や駐車場が多くなったことに驚かされる。

見た目は立派な建造物でも、無住となり、風を通さずにいると、雨風に侵食され、想像以上に短い期間で倒壊危険建造物となってしまうことが多い。

橋本の歴史を語る上でも、是非保存されたい建造物がまだまだ残存しているだけに、訪ねるたびに1軒、また一軒と姿を消して行く旧遊郭の姿に、とても複雑な思いになってしまう。

 

橋本遊郭は、遊郭としての役割を終えた後も旅館として営業されていたお宅が多いようで、遊郭としての栄華期、明治の頃のままの遊郭建築の姿を残している建造物が多いだけに、次々に歴史ある建造物が失われて行くことが本当に残念でならない。

 

旧検番所から歩き、橋本湯、そして昔と変わらぬ街並みを歩く。橋本湯の少し南側には、都市計画道路が建設工事中で、少し風景に変化があった。

メインストリートを北へ進むと、右手側に足場が組まれ、防塵防音のグリーンシートとブルーシートが・・・。(次の画像)

え、また解体?予感的中

急いで足を進めると、現在進行形で稼働中の大型ユンボが2台。

解体作業中の作業員のお兄ちゃんから話を聞くと、2・3週間前から解体作業は進められていたようで、すでに、ほぼ更地の状態、最後の整地作業に入る段階だった。「暑い中大変ですね、ご苦労様」と声をかけると、「ありがとうございます」と爽やかな返事が返ってきた。このお兄ちゃんには何の罪もないし、何の悪気もない。依頼された作業を敢行しているだけ・・・・

貴重な建具や装飾品が一杯廃棄されたんだろうな?と思うと残念でならない。

自分にはたとえ御縁がなかったとしても、もし廃棄されるべきではない骨董品や道具類が、解体業者や道具商などを介して、運良く骨董市場や道具市場へ流出していたなら、それは幸運なことだと、最近思えるようになった。

 

帰宅後、解体される以前の画像を探してみた。2軒のお宅がまとめて解体されてしまったようだ。2軒とも2階の手すりには擬宝珠飾りのある昔のままの立派な遊郭建築。本当に残念

 

気を取り直して、散策を続ける。昔ながらの遊郭建築をカメラに収める

お隣が解体されたり、表のお宅が解体されたりして、以前見えなかった奥まった処が見えたという発見も幾つかありました。

緑のダイヤガラスが使われている戸板が見えたりして・・・。昔は、にぎやかだったんだろうなあ・・・・

 

こんなふうに、駐車場や空き地で、昔ながらのお宅はズタズタに分断されてしまっている。

本当に、奇跡のように残っていた橋本遊郭が、今後次々に消え去って行くのも時間の問題か?

 

道後温泉に行ってきました

  • 2016.08.15 Monday
  • 07:24

8月12、13、14日の3日間、今年も娘夫婦と孫たちと一緒に四国へ行ってきました。

今年は、孫が一人増えたので、車2台で3人ずつ分乗して移動。娘夫婦たちを旦那の実家へ送り届けたあと、私たち2人は、いつものように自由気ままに四国旅行ということになりました。

一晩目は、新居浜にあるマイントピア別子で温泉に入り車中泊。

2日目朝、ふと思い立って、前々から一度行ってみたかった松山の道後温泉までドライブ。道後温泉本館で温泉に入り、その後、伊予鉄道の路面電車に乗り、楽しみました。

 

入線してきたモハ51に乗車。伊予鉄道路面電車の中で、最も古い車両でした。釣り掛けモーターと旧型コンプレッサーの音が何とも懐かしい。

 

JR松山駅から折り返したモハ51に乗っていると、前方に坊ちゃん列車が行く。蒸気機関車風だが、実はディーゼル機関車。

さらに、架線からパンタグラフで電気を集電しているではないか!道後温泉駅の直前交差点でパンタグラフを格納。

 

道後温泉駅の機回し線で、機関車の回転と客車の付け替え作業。すべて人力で作業。その後、機回し線奥の留置線で待機。

伊予鉄道路面電車にも、下の画像のようにヨーロッパ風の低床式新型車が多く投入されている。

最古参のモハ50系が昭和の歴史遺産として今後も走り続けてくれることを願わずにはいられなかった。

 

展示されていた坊ちゃん列車の機関車運転室内部。見た目は蒸気機関車だが、実はディーゼル車。さらに液晶画面のデジタル機器も搭載。

 

たまたま道後温泉駅でホームに入線してきたモハ51(昭和26年製造の現在最古参の車両でした)に乗車し、JR松山駅まで行き、地下道を通って反対ホームへ渡り、帰りも同じモハ51に乗り、道後温泉駅まで戻りました。

釣り掛けモーターの音と旧式のコンプレッサーの音が懐かしくて涙が出そうなほど嬉しい気分になりました。

路面電車にはATS(自動列車停止装置)などの設備もなく、交通事情により、すぐ前に前の電車が止まっているという不思議な光景がしばしば見られました。道後温泉駅への帰り道、私たちが乗っていたモハ51のすぐ前を、坊ちゃん列車が走っていて、何度もカメラを向けました。時速30キロ程度しか出ないのですが、それでも坊ちゃん列車には通過駅があり、一応特急列車扱いで特急券が必要ということでした。

伊予鉄道本線との平面交差や、道路上の交差点を直角近い急カーブで車輪を軋ませて曲がる様子など、路面電車しか味わえない昔懐かしい体験ができ、とても楽しかったです。

片道160円でこれだけ楽しめたら、遊園地の電車よりずっとお得?ではないでしょうか。

道後温泉駅に到着すると、前を走っていた坊ちゃん列車が引き込み線へと移動。みんなカメラやスマホを持って走って追いかけて行くので、同じように坊ちゃん列車を追いかける。

なんと、客車2両を切り離し機関車は機回し線へ。すると、信じられないような光景が。転車台もないのに機関車は係員数人の人力で方向転換されレールの上に。あとでネットで調べてみると、どうやら機関車本体の下にジャッキと回転台が搭載されていて、ジャッキアップして、人力で回転させるという仕掛けだそうです。本当に不思議な光景でした。

そして、2両の客車は係員の人力で軽々とレールの上を転がされ、方向転換した機関車の後ろ側に連結される。

何とも、笑い出してしまいそうな光景でした。

 

道後温泉の感想ですか?

歴史ある建造物で素晴らしい外観に見惚れてしまいましたが、入浴の感想は?と聞かれると、まあ、昔懐かしい銭湯?という感じで、また行ってみたいというほどのものではありませんでした。

露天風呂があるわけでもなく、ジェットバスや寝湯があるわけでもなく、1階神の湯に30分も入浴していると手持無沙汰という感じ。

かと言って、倍以上の料金を払ってまで、浴衣貸出、お茶やお菓子付き、館内見学や休憩のできる2階霊の湯へ入浴・・・という選択もしませんでした。ましてや3階の霊の湯個室休憩室となると、神の湯の4倍近い料金です。貧乏人には縁のない湯屋?です。

当日、2階の霊の湯は、満員御礼で順番待ちの状態でしたが、1階神の湯は、ゆったり入れる状態。

番台のおじさんやおばさんは、英語、韓国語、中国語など、流暢に使い分けて入浴客の応対をしておられました。

外国人が多い観光地ならではの光景でした。

 

2日目の夜は、毎年お世話になっている、道の駅 霧の森高原(新宮温泉)に入って車中泊をしました。

昼間に道後温泉に入浴しているので、温泉にあまり長時間入る気にもなれず、露天風呂で涼んでばかりいました。

車中泊は2日とも寝る時は少し蒸し暑い感じでしたが、朝は寒いぐらい。ぐっすり寝られました。

 

今年初めての観光旅行?を楽しんだ3日間でした。

 

伊賀 上野天神祭 だんじり・鬼行列を見てきました

  • 2015.10.25 Sunday
  • 07:18
JUGEMテーマ:国内小旅行









10月、毎日毎日、こんな晴天が続いて良いの?と心配になるぐらいの秋晴れが続きます。
昨日、ここ数年行ってなかった、伊賀市の上野天神祭を見てきました。
毎年、曜日に関係なく、10月24日が宵山で、菅原道真の月命日にあたる10月25日が本宮となります。
ですから、上野町内在住の勤め人の方や、他の地方に出て暮らしておられる方など、10月23日から25日の3日間は、休みを取ってでも必ず祭りに参加をするのだという話を以前に聞いたことがあります。
今年は、25日の本宮が日曜日と重なるため、随分賑わうことでしょう。

上野市街の天満宮を中心とした3本の大通り(本町筋、二の町筋、三の町筋)を、何台ものだんじりが巡航します。
それと、三の町筋を、鬼の面をつけた子供から青年が、色々な鬼の姿に扮して練り歩く、鬼行列も見どころです。
鬼行列が開始される午後二時には、たくさんの見物人が三の町筋に集まります。
子供の鬼は、静かに歩くだけですが、大人の鬼は、見物人の小さな子供たちを嚇しにいったり、大きな釣り鐘をぶら下げたひょっつき鬼などは、フラフラに酔っぱらった演技で観客にぶつからんばかり。
1歳から2歳ぐらいの小さな子供たちは、鬼行列が始まると、みんなずっと大泣きです。
そして、鬼たちは泣いている子を見つけると、わざと嚇しに行き、さらに子どもたちは大泣き。
泣く子がいないと面白さ半分といったところでしょうか。















江戸時代、藤堂高虎が拝領していた上野城の城下町である上野の市街地は、戦災の被害がなかったこともあり、今でも江戸時代の頃の城下町のままの街並みが残り、当時からの商家や民家、武家屋敷なども数多く残っている、とても歴史的な街並みです。
松尾芭蕉の生家も保存公開されています。
普段、車で通るだけのことが多い市街地を歩いてみると、あらためてその歴史の重みを感じることができます。
この天神祭も、国指定重要無形文化財になっています。
本宮の今日は、日曜日、そして今日も雲ひとつない晴天なので、きっと多くの人で賑わうことでしょう。

大和郡山遊郭跡を歩く

  • 2014.09.30 Tuesday
  • 21:29
1年数か月ぶりに大和郡山の洞泉寺町と東岡町の遊郭跡を巡りました。
何度来ても、他所の色町には感じない独特の雰囲気があります。

洞泉寺町遊郭は、戦前でその役目を終え、建造物のみが数軒残されています。
数年前、画像の川本家が市によって修復され、保存されることになったのは、嬉しいことです。
洞泉寺町に残存する他の遊郭跡も、その後、特殊飲食店などの赤線独特の戦後昭和の改築を施されることのないまま、かつての姿をそのまま残した状態で残っている、きわめて珍しい例だと思います。





市によって修復保存された川本家住宅



東岡町遊郭は、戦後も営業が続けられていたようで、法改正後も表向きは旅館として営業されていた建造物が多かったようです。
1989年売春防止法に関係した事件で一斉摘発を受け、そこで遊里としての役目を完全に終えたそうです。
ただ、現存する東岡町の遊郭跡建造物も、明治、大正頃に建造されたものが多いようですが、戦後の赤線地帯独特の特殊飲食店風の改築がほとんどされないまま昔のままの姿で残っているのが印象的です。




外観は堂々としていて威圧感がありますが、内部はすでに崩落していて、非常に危険な状態です。




三階建ての楼閣が路地を挟んでそびえ立つ光景には、圧倒されます。


「旅館」の電飾看板が残る建物が数軒あり、独特の雰囲気が感じられます

1年ぶりに訪ねましたが、昨年、すでに内部が崩落し、とんでもない状態になっていた三層楼も、前回見たままの状態で、なんとか現存していました。
しかし、この建造物群が見られるのも、時間の問題だと感じました。

洞泉寺町も、東岡町も、狭い路地に木造三階建ての楼閣がそびえ立っている姿が、何とも印象的です。
まるで、明治、大正の頃から時間が止まっているような錯覚を覚えました。
夕暮れ時ともなれば、三層楼の千本格子に明かりが漏れ、街灯に灯がともり、玄関先には、やり手婆さんが客引きをする、・・・そんな賑やかな幻景が、目に浮かんできます。
でも、こうして、遊郭跡を巡っていて、もし私がその時代に生まれていたら、おそらくこの路地に足を踏み入れることはなかっただろうといつも思うのです。

今日で9月が終わりだというのに、昼間の陽射しはなかなか強烈でした。

東海道五六次 枚方宿を歩く

  • 2014.09.14 Sunday
  • 11:45
先週の橋本遊郭に次いで、今日は、枚方(ひらかた)宿を歩いてみました。
京都三条大橋が東海道五三次ということは有名ですが、江戸時代、京街道に沿ってナニワまで、その続きの宿が定められたそうです。伏見が54、淀が55、枚方が56、守口が57の順だそうです。
ただ、各宿場は、淀川に沿っているため、下りは船に乗って一気にナニワまで下ってしまうため、上りの客だけが利用することが常で、枚方宿も経営が大変だったそうです。



京阪電車、枚方公園駅から歩き始めます。


まず、駅前の伊加賀東町の昭和の香りが残る古い商店街を抜けると、桜町です。

桜町に入ったすぐの場所の食堂。2階に玉光旅館の古い看板が。

この界隈は昔、桜新地と呼ばれ、幕府公認の飯盛宿(飯盛女を雇っていた売春宿)が集中して建てられたところですが、ほとんどの家屋が平成生まれの新築住宅やマンションに建ち替わってしまい、いにしえを偲ぶ街歩きは困難です。











10軒、20軒に一軒ぐらい、飯盛旅籠だったことが偲ばれる家が残っているぐらいです。
90%以上が平成生まれの新築住宅に建ち替わっている感じです。



最近まで営業されていた桜湯(風呂屋)も、廃業されており、ひっそりとしていました。本当に寂しい限りです。





桜町の突き当りに、一際手入れの行き届いた立派なお宅があります。
このお宅が、ツタヤ書店の創業者社長の増田さんのご実家だそうです。
30年〜20年ほど前、毎日この道を通勤ルートとして通っていた頃が懐かしいです。



桜町の下の水路が美しく整備されていますが、昔は、このあたりにくらわんか船の船着き場や引き込みがあったのでしょう。


街道筋の旧家が、まるでカステラを切り取ったような感じでポツリポツリと残っている姿が哀しいです。


続いて、鍵屋旅館(別館が復元整備され、鍵屋資料館となっています)を経由して、枚方宿の中心部へと歩きます。


桜町ほどではないとしても、やはり江戸、明治の頃の旧家は、ごく僅かしか残存していないのが現実です。
20年前、30年前、もっともっと宿場町の風景が残っていたのですが、久々に歩いてみると、本当に様変わりです。


ちょうど、今日は、第二日曜ということで、『枚方宿くらわんか五六市』が開催されていて、あちらこちらに露店が立ち並び、人通りも多く、とても賑やかでした。
五六市という名称は、枚方宿が五六次だったことからつけられたそうです。


枚方宿のほぼ中心にある浄念寺






三矢公園があるこの場所は、江戸時代に枚方本陣があった場所だそうです。
明治になってすぐの頃に取り壊され、北河内郡役場が建てられたそうです。

10年ぶりぐらいに、枚方宿を歩きましたが、僅かに保存されているお宅を除き、ほとんどの家屋が平成生まれの家になり、本当に様変わりしてしまったというのが今日の感想です。

画像では、旧家がいっぱい残っている素晴らしい町並みのように感じられるかもわかりませんが、画像は、風景の中のごく僅か残っている旧家を撮影しています。
街道筋のほとんどの家が新築家屋に建ち替わっていると認識して頂ければと思います。

橋本遊郭跡を歩く

  • 2014.09.06 Saturday
  • 10:00
今朝、ふと思い立って、橋本遊郭跡(京阪電車橋本駅前)を散策してきました。
これまでにも何度か撮影に訪れたことがありますが、時の流れと共に、ずいぶん歯抜けになってしまいました。今朝も、一軒のお宅が現在進行形で解体作業中でした。
作業前の職人さんにお伺いすると、解体されている建物は明治の頃に建てられたもので、解体には2,3週間かかるということでした。
文化財指定や町並み保存の動きなど何もない状態のようで、どの建造物も時間の問題のような気がしました。

まず、橋本湯(営業中)から歩きはじめて、メインストリートをゆっくり散策しました。現存している楼閣はほとんどが明治のころのままの佇まいを残していて、夜になれば、賑やかな宴、三味や太鼓の音が聞こえてきそうです。










大和郡山洞泉寺遊郭同様、明治の頃の古い佇まいを残すひっそりと静まりかえった歴史遺産です。
後世に残すことができないのだろうかと、強く思いましたが、遊郭というどちらかという負の遺産のようなイメージが強いので、難しいのかもわかりません。












角を曲がり、橋本駅の方向へ向かいます。
現住の家屋は、まだまだ残存するでしょうが、無住の家屋や、壁続きの隣屋が解体されたような家屋は荒れるに任せた状態です。








駅前食堂は「アサヒスタイニー 洋食の店 やをりき」の看板が何ともレトロです。
踏切を越えると、蔦に呑みこまれそうな巨大な木造建造物が。
昔、遊郭が営業されていた頃は検番所?その後診療所?みたいな病院?みたいな、その後手芸品店?になり、現在はアパートで数軒住人も住んでおられる?・・・・みたいなお話を通りがかりの人に伺いましたが、正確なところは不明です。









解体中の建物。数週間後には、ここも更地になってしまうのですね。
時の流れとは言え、何か悲しくなってしまいます。

懐かしい雰囲気の銭湯 新寿温泉

  • 2014.09.04 Thursday
  • 16:38
孫の検診で枚方市民病院へ行きました。
家内と娘と孫を乗せて、運転手で半日が過ぎました。

孫は、昨年9月、枚方市民病院で生まれました。娘が生まれたのも、枚方市民病院でした。
その枚方市民病院が、9月末に隣の敷地に新築移転し、『市立ひらかた病院』に名称変更されると聞きました。

相変わらず駐車場は常に満車で、空待ちの車列が続きます。
現在の枚方市民病院が解体されたあと、現在の市民病院の敷地が駐車場になるそうですが、駐車場完成まで2年かかるそうです。

あと数十日で役目を終える『枚方市民病院』

ほぼ完成している感じの『市立ひらかた病院』

それはそうと、病院の帰り道、枚方市須山町から甲斐田へと向かう、バス道路から一筋脇道に入った場所に、昭和の頃のままの懐かしい雰囲気の『新寿温泉』という銭湯を見つけました。
いつもよく通る道なのに、今まで気づかなかったのが不思議です。

ほんの一瞬視界に入っただけだったのですが、あまりにも印象が鮮烈で、素晴らしい感じだったので、夕方、再度撮影に行きました。











午後3時半頃でしたが、自転車や徒歩で、近所のお年寄りが次々に温泉へとやってきて、暖簾の中へ消えて行きました。

たまたま温泉から出てきたご婦人に話を伺うと、毎日のように来ている人もいるということ、お年寄りの憩いの場になっているようです。

温泉の横には、家屋解体で出た柱などの廃材が、燃料用に、同じ長さに切りそろえられ、堆く積み上げられていました。そして、高い煙突にも『新寿温泉』と書かれているのが、とても懐かしい感じがしました。

全国的にも銭湯が次々に廃業となっている今、貴重な存在だと思いました。
懐かしい銭湯お好きな方は、是非お立ち寄り下さい。
15時〜24時  月曜定休   

別子銅山跡を散策

  • 2014.08.17 Sunday
  • 17:41
お盆休みの娘夫婦と孫を、娘の旦那の実家へ送り届けたあと、家内と二人で車中泊2泊の気ままな四国旅行へ出かけました。
キーワードは、『温泉のある道の駅』です。

4月には、霧の森(四国中央市)へ出かけたので、今回は、マイントピア別子(新居浜市)を目的地にしました。
別子銅山は、江戸時代に巨大な銅鉱脈が発見され、住友財閥が出資、採掘、その後昭和40年代に閉山されるまでの長い期間銅鉱石や黄銅鉱石の採掘が続けられた、日本有数の銅鉱山です。
でも、私は、今回の四国旅行について、前調べをしていて初めて別子銅山について知りました。別子という地名を『べっし』と読むことも知らなかったぐらいですから。
それぐらい、まだまだ知らない事ばかりだということです。

別子銅山の中でも、大正時代から昭和初期にかけて最も多くの銅鉱石が産出された東平(とうなる)地区の鉱山遺跡は、特にすごい迫力のあるものでした。
別子同様、東平と書いて「とうなる」なんて読めるはずもありません。
すべて、インターネットのお蔭です。

百聞は一見にしかず・・・という言葉通り、眼下に雲海が広がる天空の深山を自分の足で歩いて、自分の目で見て初めて味わえる感動が一杯ありました。
すごかったです。
1晩目、マイントピア別子で温泉に入り、2日目、深い霧が立ち込める中、霧雨に打たれながら5?ほど銅山跡の様々な遺構を歩きました。

私は鉱山遺構はもちろんのことですが、人々の暮らしが残る生活遺構に特に感銘を受けるものが多かったです。

標高800メートルを超える険しく深い山脈の中に、採掘に関連した建造物だけでなく、5000人以上の作業員(社員)や家族が暮らす6畳2間ほどの連棟の質素な社宅がこの深い山の中に数多く建てられ、さらに病院、小学校、中学校、郵便局、幼稚園、娯楽場(演芸場)もあり、生活必需品を販売する生協もあって、そこに暮らす人たちの暮らしが成り立っていたということに、まず感動してしまいました。

インカ帝国の遺構になぞらえて「東洋のマチュピチュ」と呼ばれている東平地区ですが、決してその呼び名は大げさではないと、行ってみて感じました。

今でこそ、険しい山道ではありますが、車で東平地区まで行くことができますが、当時は、道もなく、軽便鉄道のトロッコ列車だけが命綱となる、下界とは完全に遮断された雲の上の世界だったようです。

でも、当時そこで暮らしていた小学生たちの笑顔や、遊びの風景、生活風景などの貴重な写真資料を見ていて、何か涙が出そうになってしまいました。

こんな凄い所に、天空の町があり、多くの人の生活があったということ。
人と自然のかかわりの中で、考えられないような生活が当たり前のように存在していたという驚きと、感動で胸が熱くなってしまいました。
それも、昭和40年代までその生活が続いていたということに、感動してしまいました。

かつては、この東平地区よりまだまだ山深い地区でも採掘が行われていたそうです。

この人里離れた山深い鉱山から、水平方向に総延長700?、垂直方向には、なんと海面下1000メートル以上、銅鉱脈を探して坑道は延々と掘り進められたそうです。

かつては、新居浜港まで軽便鉄道がつながっていて、銅鉱石を精錬する工場もあり、船積みされていたそうですから、新居浜市がいかに賑わっていたかが想像できます。

まだまだ知らない事ばかり。
こうして旅行して初めて知る歴史、初めて味わう感動が一杯あります。

別子銅山端出場(はでば)水力発電所
別子銅山端出場(はでば)水力発電所

端出場第四通洞(軽便鉄道のトンネル跡)
端出場第四通洞(軽便鉄道のトンネル跡)

当時の機関車を模して運転されているバッテリーカー
当時の機関車を模して観光遊覧運転されているバッテリーカー

当時の小学校の再現模型(別子東平資料館)
当時の小学校の再現模型(別子東平資料館資料)

東平中学校跡地
東平中学校跡地

当時の社宅の再現模型(資料館内資料)
当時の社宅の再現模型(資料館内資料)

社宅復元資料
当時の社宅基礎の上に建てられた復元資料(6畳間一室と6畳の台所一室のみの本当に質素な住宅です)

雲海の中に浮かぶ選鉱場の遺構
雲海の中に浮かぶ当時の選鉱場の遺構跡

鉱石運搬用鋼索線(ロープウェー)操縦室跡
鉱石運搬用鋼索線(ロープウェー)操縦室跡 

病院(診療所)の当時の写真
病院(診療所)の当時の写真(資料館内資料)

病院跡遺構
病院跡遺構。コンクリート製の門から当時が偲ばれる

上部鉄道線第三通洞入口付近
東平地区第三通洞(軽便鉄道トンネル)入口付近

冷気漂う通洞(トンネル)内部
入口の柵越しに撮影したトンネル内部です。冷気が漂っていてすごい迫力を感じました。

紹介したい画像がまだまだ山のようにありますが、これぐらいでおしまい。

マイントピア別子での車中泊は、雷雨のおかげで、エアコンのお世話にならず、なんとか朝まで寝ることができました。

二日目の晩は、西条市にある、道の駅小松オアシス(石鎚山ハイウェイオアシス)に併設されている「椿の湯」という温泉に入り、道の駅で車中泊しました。
2晩目も雷雨のおかげで、エアコンなしで朝まで寝ることができました。

ちなみに、夕食、朝食、昼食などの食事も、すべて車内です。
食材や弁当やお飲物は、すべて現地(ご当地スーパーや大手ショッピングモールなどで)調達です。
昔、キャンピングカーで旅をしていた頃は、バーベキューコンロや炭も持参し、キャンプ仲間たちと賑やかにアウトドアライフを楽しんでたのですが、今は、慎ましく、静かに車中泊を楽しんでいます。これが身の丈だと感じています。

夏の快適な車中泊は、本当に天候次第です。

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