信楽高原鐡道が国鉄信楽線だった頃の昔話

  • 2017.05.14 Sunday
  • 20:04

JUGEMテーマ:国内小旅行

 

今日は39年目の結婚記念日、そして忘れもしない信楽高原鐵道事故から26年・・・

僕は、若い頃から国鉄(現在のJR)の非電化、単線のローカル線マニアで、夏休みや冬休みになると、草津線、関西線、紀勢線、名松線などをよく旅をしたものでした。

その中でも国鉄信楽線(現在の信楽高原鐵道)は、どの路線よりも憧れの路線でした。

普通、男の子は、パンタグラフのある長大編成の電車が複々線の路線を轟音を轟かせて疾走する姿に憧れるみたいですが、僕は、子供の頃から田園風景の中、単線の頼りないレールの上を一両か二両編成の列車が緩やかに走る姿が大好きで、信楽線も、そのまま模型にしてしまいたいぐらいの大好きな路線でした。

現在、僕は、信楽在住ですが、あの痛ましい事故があった26年前は、まだ信楽町の住民ではありませんでした。

でも、あの事故は毎年5月14日が来るたびに決して忘れられない悲しい出来事です。

ツツジが咲き誇り、森の新緑が萌え、信楽町が最も美しく輝く5月、なぜあんなに痛ましい事故が起きなければならなかったのか、どう考えても今でも信じられない出来事なのです。

 

あと少しで信楽駅へ到着するキハ30+キハ52 真夏の陽射し照り付ける中、今考えてみると、当時はクーラーなんかないのが当たり前でしたね・・・。

 

 

 

 

雲井駅へ到着したキハ52  真冬の寒々とした風景です。
 

一両で信楽方面へ向かうキハ52 当時、玉桂寺前という駅があったかどうか記憶にありません。

 

 

今日の画像は、昭和50年の夏の画像が一枚と昭和51年の冬の画像が4枚、いずれも国鉄信楽線の画像です。

 

当時、信楽線へは亀山機関区のキハ52が貴生川で切り離されて1両で運用されることが多かったようですが、キハ30との2両で往復運用されることもよくあったようです。当然、当時の気動車は重量の割りに出力も十分ではなく、2エンジンのキハ52でさえ、乗客の多い夕方の時間帯などは貴生川駅を出てからしばらくして差し掛かる33.3パーミールの本格的な登り坂になると、時速25キロを下回り、直結では運転できなくなり、やむなくトルコン変速機走行に切り替わるということもよくありました。

当時の気動車の直変切り替え装置付きのマスコン(動力運転装置)が大好きで、現物を払い下げで入手し、現在も模型の運転装置として使っているほど気に入っています。

画像の雲井駅は、当時、信楽駅と同じく、いかにも国鉄ローカル線らしい駅の雰囲気があり、とても気に入っている駅でした。

信楽高原鐡道事故で犠牲になられた方々への鎮魂を意味するものではないですが、僕にとって忘れられない痛ましい日。

時を戻すことはできないですが、国鉄時代の信楽線の昔話を少しだけ語ってみました。

僕に何ができるわけでもありませんが、事故で犠牲になられた多くの方々へのご冥福を心よりお祈り致します。

鉄道は便利で快適であるべきですが、まず安全であるべき交通手段。

今後も痛ましい事故が起きることのない鉄道であることを願います。

 

今日、当ブログに、国鉄時代のローカル線の思い出を語るカテゴリーを新設しました。

これから時々、40年以上前の昔懐かしい思い出を語ってみようかなあ?と思っています。

興味のある方がおられましたら、時々遊びに来て頂ければ嬉しいです。

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