国鉄時代昭和50年の亀山駅、亀山機関区

  • 2017.05.15 Monday
  • 17:12

JUGEMテーマ:国内小旅行

僕は、本来「乗り鉄」というわけではない。

「撮り鉄」というわけでもない。

鉄道模型マニアというわけでもない。

鉄道部品マニアというわけでもない。

そして鉄道工学や鉄道施設に詳しいわけでもない。

ただ、ローカル線の昔懐かしい風景が好きなだけ・・・ぐらいの、薄っぺらい鉄道ファンでしかない。

 

僕が大学時代から新卒で就職したばかりの頃、日本国有鉄道は、動力近代化の波に乗り遅れ、余剰人員の整理もままならず、まさに火の車。各地の多くのローカル線は廃線の危機だった。

 

しかし、日本国有鉄道という名称からも解るように、親方日の丸、どんな赤字を抱えていても破産することはないという風潮があり、地方の国鉄職員の人は、赤字などどこ吹く風という感じで、結構大らかにのんびりとした仕事ぶりだったように思う。

夏場はアイスクリームを食べながらの運転とか、ジュースを飲みながらの運転なんていう姿も珍しくなかった。

僕が鉄道ファンだと判ると、機関車の運転席を見せてくれたり、機関区に案内してくれたり、・・・・色々思い出すと、今では想像もできないような大らかな時代だった。

夕方から夜の時間帯に、名古屋発、津行きの6両編成ぐらいの通勤客車が一本あった。

亀山駅で進行方向が変わり、DD51からDF50に機関車が付け替えられる。

機関車入れ替えのため随分長い時間亀山駅に停車する。

そこで、その客車に乗り込むと、6両編成の客車に乗客は僕一人ということがあった。

薄暗い白熱灯、木製の壁や天井、・・・・なんか夢に出てくる天国行きの客車みたいだった。

夜8時20分、終着の津駅で降車し、改札へ向かうと跨線橋の階段からは近鉄線ホームから帰宅ラッシュの人の波が改札口に押し寄せてくるという、国鉄と近鉄では全くの別世界だったことを今でも鮮明に覚えている。

だからこそ旅情を感じ、いかにも旅をしているという風情があり、国鉄ローカル線が好きだった。

昭和50年、51年頃、僕は何度か亀山駅に降り、亀山機関区を訪ねている。

湊町(現なんば駅)から名古屋までだが関西本線なのだが、亀山を境に西側と東側で全く車両の運用が違ったため、言ってみれば別の線区だった。そして参宮線と紀勢本線の起点でもあった亀山機関区には、結構沢山の機関車や気動車や旧型客車や貨車、その他様々な車両が配置されていて、興味深い場所だった。

廃車となったC58 312とC57 110蒸気機関車 C57110は昭和31年六軒駅衝突事故の復旧車として忘れられない機関車

 

昭和48年10月に無煙化となり休車になった蒸気機関車が昭和50年にはまだ側線に置かれたままだった。

そして、機関区の裏手には蒸気機関車のための巨大な給炭台もまだ残っていた。

しかし機関庫の中は、紀勢線用のDF50と関西線用のDD51が陣取っていて、とても賑やかだった。

 

 

 

DF50は、電気式ディーゼル機関車という珍しい構造の機関車。

簡単に言えば、ディーゼルエンジンで発電し、その電気でモーターを回転させ走らせる機関車。

名称的には、本当ならディーゼル発電機搭載式電気機関車と言うべきか?面白い発想の機関車だ

そして機関区奥の留置線にはキハ20、キハ25、キハ28,58、キハ55、キハ30、キハ35などなど気動車が一杯。

ホームからは見えない、はるか奥の客車区には、5両編成ぐらいに組まれたオハ35系やスハ43系などの旧型客車が整然と並んでいた。

朝一番の草津線経由京都行き列車や、新宮行きなど比較的長距離の運用が客車の役目だった。

 

鉄道ファンでなくとも、この賑やかな風景には心躍るのではないだろうか。

今日は、昭和50年秋の亀山機関区の風景を数枚。

次回は、翌年、昭和51年の同じく亀山の風景をアップする予定です。

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