国鉄時代の草津線

  • 2017.05.22 Monday
  • 16:47

昭和51年頃の草津線は、まだ非電化路線で、本当にローカル色豊かな田園風景の中を、気動車や旧型客車がのんびりと走っているという感じでした。

明治の頃には、まだ国有化されていなかった、私鉄路線、関西鉄道誕生の地でもあった歴史のある路線。

東海道線の電車が行き交う草津駅の一番南側のホームが草津線ホームだ。

そして、そのホームの南側には、草津線専用の機関支区や車両工場などがまだ残っていたのを記憶している。

同じ草津駅でも、草津線ホームだけ全く別の空気が流れていた。

草津駅の東海道線ホーム   快速電車や新快速電車も、今となっては懐かしい


草津線のりばに停車する亀山機関区のキハ53 5 まだ、当時は配属されて間もない新車で、主に信楽線の運用に使われていた。

草津発柘植行きの先頭に連結され、貴生川駅で切り離され、信楽線へ入線する運用。

信楽線を何往復化した後に、また草津線の最後尾に連結されて草津へ。

一日の最後は貴生川駅で柘植行きの気動車の先頭に連結され、柘植へ向かい、亀山機関区に戻る。

DD51牽引の旧型2軸の貨物列車も結構多く運行されていて、面白い光景が見られました。

草津行きキハ35の最後尾に、信楽から戻ってきたキハ53が近づいてくる。

このあと連結され、草津へ向かう。

 

 

 

 

ちょうど田植えが終わった今の季節ですね。

草津線の田園風景を行くDD51牽引の貨物列車。本当に、模型にしたいような風景です。

多分、貴生川駅の駅前広場風景だと思われます。昔懐かしい風景です。今はすっかり景色が変わってしまいました。

 

柘植→京都の間で朝夕に数本運行されていた、貴重な旧型客車通勤列車です。オハ35系、スハ43系、ナハ10系、ほか広窓の旧型急行グリーン車両をロングシート化した車両など、結構珍しい車両が見られました。

しかし国鉄終末期には、新車でデビューしたオハ50系の赤い自動扉客車(レッドトレイン)にすべて置き換えられ、DD51が牽引していました。

その後、草津線電化に伴い客車の運用そのものが廃止となりました。

朝一番のダイヤは、亀山発京都行、あとの数本は柘植発京都行だったように記憶しています。

草津から京都まで、快速電車や新快速電車や特急電車が120キロで疾走する傍らを、DD51が旧型(雑型)客車を牽引していた風景を今振り返ると、なんかワクワクしてしまいますね。

実におもしろい時代でした。

夕方、柘植駅の留置線で翌朝まで留置される客車と、数両を柘植駅に残して、関西線を亀山まで回送され、翌朝の亀山発の列車になるもの、など、その運用は毎日決まっていたようですが、僕にはあまり詳しく解りませんでした。

柘植駅にあった転車台などの機関支区の施設も、今では見る影もありません。

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