『ファイト!』

2013.01.15 Tuesday

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    『ファイト!闘う君の歌を闘わない奴が笑うだろう  
    ファイト!冷たい水の中を震えながら昇って行け』
    この数か月、テレビからこのCMが流れるたびに気になっていました。
    今日夕方、荷物の積み込み作業が一段落して、部屋に入りちょっと休憩でテレビをつけたのですが、ちょうどそのCMが流れ、中島みゆきさんの『ファイト!』を、こんなにカッコ良くこんなに魅力的に歌ってるのは誰?とふとネットで調べてみました。
    満島ひかり・・・沖縄出身・・・・
    名前だけは知っていましたが、あらためて「なんてうまくできたCM!」とYou Tubeで何十回もCM動画に見入ってしまいました。と同時にカロリーメイトのCMだということを今日始めて認識しました。大塚製薬さんごめんなさい。ホーロー看板では認知度が高いのですが・・・。校庭で『ファイト!』を歌う姿と、教室の風景などから、てっきり学習塾か予備校のCMだと思い込んでいました。
    ついでに槙原敬之さんの『ファイト!』が出てきたので何回か観て、結構槙原さんのライブにも感動し、見入ってしまいました。
    私は、1975年にデビューした時から1982年頃までの中島みゆきさんが大好きでした。過去形で「大好きでした」と語るのは何か悲しいですが、それ以後、何故か喉を締めた雄叫びのような歌い方と、「夜会」なる独り芝居の舞台にしだいに違和感を覚えるようになり、だんだん心離れて行ってしまったのです。もちろんそれ以後の歌にも大好きな歌はいっぱいありますし、レコードやレーザーディスク(古っ!)やCDはそれ以後もほとんど買っていましたが。(話せば夜が明けてしまいそうですが)
    さて、私にとって、みゆきさんの楽曲、歌詞、演奏・・・すべてが、昭和の頃のノスタルジックな風景とシンクロして、まるで映画の一コマのような懐かしさを感じるものなのです。
    先日、レッドツェッペリンについてブログに書きましたが、中島みゆきさんも、私の音楽史の中では外せない重要人物です。
    何十分かYou Tubeを観ているうちに、つい感極まってしまい、ピアノに向かい、『ファイト!』『時代』『世情』『化粧』など何十年も昔の曲を弾き歌いして、独り演奏会をしてしまいました。
    歌詞って忘れるものですね!そもそも若い頃から私は歌詞が覚えられないのが悩みで、自分が作詞作曲した曲でも歌詞カードがないとシドロモドロ状態によくなってしまうのです。ライブで堂々と何十曲も歌える人が本当に本当に羨ましく感じてばかり。
    ピアノの弾き歌いの場合、カンニングペーパーを見ながら歌えるのでまだなんとかなるのですが、ギターの弾き歌いの場合、譜面台を立ててギターの弾き歌いっていうのは無様ですし、・・・どうしても歌詞が覚えられないっていうのか、ふとした瞬間に頭が真っ白になってしまうのです。
    メロディーやコードは何十年ぶりの曲でも無意識に弾けるし、はじめて聴く曲でもジャズなどよほど複雑な曲でない限り耳と指が勝手について行くのですけど、歌詞だけは本当にダメです。きっと記憶力とか思考回路とか運動能力に問題があるのでしょうね?ちなみに振り付けやダンスも全くダメです。テレビを見ていると、AKB、NMB、SKE、HKT・・・次々に登場してきますが、彼女たちの振り付けやダンスを見ていて、心から尊敬してしまいます。やっぱり才能ですね。
    今日は久々の音楽日和でした。

    雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう・・・

    2013.01.14 Monday

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      深夜、ふと目が覚めると天気予報通りに雨の音。でも朝起きてみると雨の音がしない。
      これはもしかして?と外を見ると一面の銀世界。
      今年、信楽では、はじめての積雪です。
      信楽は冬の気温が低いことで近畿では有名ですが、積雪に関して言えば滋賀県内では湖北や、湖西、そして近江八幡、東近江、彦根などに比べるとたいしたことはないのです。
      でも、深夜降り始めた雨が雪に変わったような朝は、あっという間にすごい雪になることが多いです。
      今日は、外での作業はできませんし、車への荷物の積み下ろしも一苦労。
      でも、結局それほどの積雪になることはなく、昼近くには雪はしだいに雨に変わりました。
      こういう天気の時は、翌朝の路面凍結が一番怖いのです。峠道はスケートリンクのようになってスタッドレスタイヤでも滑りますよ。
      時遊館裏の墓地に六地蔵が祀られていますが、寒そうに雪をかぶっていました。

      さて、先日、観光のついでに信楽時遊館を訪ねて来られる予定の方がおられ、ずっとお待ちしていたのですが、結局お会いできないままでした。あとからメールで「住所通りの場所に行ったのだが、お店らしい建物はなく、普通の住宅があるだけでした」との連絡がありました。
      ご指摘の通り、信楽時遊館はホームページにも画像でご案内していますように、普通の住宅を店舗にして営業しています。
      玄関には看板を掲げていますが、近辺に派手な看板もありませんし、ホームページにも記載していますように、森の隠れ家のような静かな場所でひっそりとやっていますので、初めて来られる方は、ほとんどの方が迷われるみたいです。

      「看板もないし、空いてたのを見たことがない」というお店が、道具屋(アンティーク屋)には少なくありません。
      実際、当店も、店を開けている時間より、業者市場での売り買いや、あっちこっちのお宅から依頼を受けての出張買取や引き取り、旧家の片づけ、不用品の回収などで出かけている時間のほうがずっと多いのです。
      それも曜日ではなく日にちでスケジュールが回っていることが多いですので、土日であっても遊びに来て頂く際には、必ず事前にメール連絡をお願いします。
      また、近くまで来られて場所がわからないような場合には、道案内をしますので気軽にお電話下さいね。
      アドレス sigarakiziyuukan@yahoo.co.jp
      店舗電話 0748−82−4717 (電話に出ない時は留守にしています)

      ホーロー看板 昔ばなし

      2013.01.05 Saturday

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        昭和30年代から昭和40年代、街角には、色とりどりのホーロー看板があふれていました。商店街には色々な商品の広告看板が貼りつけられていたり吊り下げられていました。そして、鉄道旅行をすると、車窓から見える倉庫や野小屋の壁などありとあらゆる所に大型のホーロー看板が貼りつけられていました。子供心にもその光景は鮮烈に残っていて、「仁丹、金鳥、官公学生服、ライオン蚊取り線香・・・・・」など、車窓から見える看板を次々に声を出して読み上げていたのを覚えています。
        当時、まだテレビコマーシャルという広告媒体が一般的ではなかったため、人目を惹く派手な色遣いとキャッチコピーで、人々の目に触れやすい街角の色々な場所で抜群の宣伝効果を上げていたわけです。
        現在では、景観保全条例などがあり、むやみやたらに派手な看板を貼ることが禁じられている地域も多く、昭和の頃の人が溢れていて、埃っぽくて、にぎやかだった街の雰囲気は、すっかり過去の風物となってしまいました。。

        さて今日、2枚のほぼ同じサイズ(たて約60?よこ約45?)のホーロー看板をご紹介します。
        一枚は、シンガーミシンのホーロー看板です。おそらく当店展示室の中で最古,
        明治時代後期のホーロー看板だと思われます。

        シンガーミシンは当時、とても高価な商品で、一般人が簡単に買える品ではなかったようです。イギリスからの輸入品でした。この看板も、実はイギリス製です。当時、まだ日本でホーロー看板を製造する技術がなかった頃でしたので、看板もイギリスで製造され日本に送られていたそうです。
        第一代シンガーミシンのホーロー看板は、ミシンを踏んでいる女性が西洋人だったのですが、この第二代の看板で、日本髪に着物姿の女性に変わりました。
        時々「売ってほしい」と言われるのですが、しばらくは非売品です。もちろん驚くほどの高額で入手したものです。日本に何枚存在するのかわかりませんが、かなりの珍品です。
        ところで、もう一枚の看板は、ゴキブリホイホイのホーロー看板です。
        昭和48年頃に製造された、大塚製薬のホーロー看板です。

        大村昆のオロナミンC、松山容子のボンカレー、浪花千恵子のオロナイン軟膏、などと同種同時代の看板なのですが、登場しているのがゴキブリくんというところが、人気のない所以のようで、当店でも、この看板は、話のネタになることはあってもなかなか飾られることのない珍しい看板です。
        おそらく、明治、大正、昭和と製造された何千種類も数あるホーロー看板の中で、最も人気のない看板の代表選手ではないでしょうか?この看板だけは売ってほしいと言われたことがありません。話のネタとして、この看板もしばらくは非売品ですが・・・。
        ほぼ同じ大きさの看板ですが、約100年の時代差と約100倍の値段の差があります。そもそも、商用看板は非売品ですから、値段は売る人と買う人の価値観で決まるものです。アンティーク品の値段は何でもそういうものですね。

        琺瑯看板は、ちょっとレトロでポップな雰囲気づくりに、また昭和レトロな店舗装飾に、絶好のアイテムです。
        しかし、琺瑯看板なら何でも良いというわけではなく、ビール、ウイスキー、サイダーなど飲料系や、明治、森永などお菓子食品系などは人気が高く、また薬や化粧品系やミシンなど工業系も需要があるのですが、肥料、飼料系はダメですね。

        琺瑯看板は、簡単に言えば、鉄板にガラス質を焼き付けて製造されるのですが、職人技が要求される、なかなか複雑な工程で製造されていました。
        琺瑯は錆びや変色に強く、長期の屋外使用にも耐える抜群の素材でしたが、昭和50年代頃に日本国内の琺瑯看板製造工場は、ほぼその役目を終えてしまい、街中に貼られていた琺瑯看板もいつの間にか収集家の手に渡ってしまったり、スクラップになってしまい、そのほとんどが姿を消してしまったのです。

        新年あけましておめでとうございます

        2013.01.01 Tuesday

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          新年を迎えました。
          久々に紅白歌合戦の最終審査の瞬間を見ました。
          最後にいきものがかりのステージが見れて嬉しかったです。
          私、実はいきものがかりの大ファンでして・・・書き始めると長くなるのでまたいつか。
          世界中の人々にとって新しい年が幸多き年となりますよう願います。
          本年は、ホームページの充実に力を注ぎたいと思っています。
          楽しく見て頂け、お客様に満足して頂ける商品のラインアップを目指して頑張っていきたいと思っています。

          画像のおせち料理は、暮れに家内と昨年嫁いだ娘の共同作品です。
          お昼すぎ、穏やかな日差しの中、自宅近所の天神社に初詣に出かけました。午後は時遊館の片づけを少ししましたが、思ったように捗らないまま夕暮れとなりました。続きはまた明日。
          本年もどうぞよろしくお願い致します。
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